空間

好きなように話させてよ

推敲しません

昨日不慮の事故が続いて、洗い物の途中にお皿を1枚と、シーツの洗濯の途中にグラス1つを割った。本当に不運だ、いやな予感がした。

 

そして今日、嵐が嵐であることをやめるらしいということを遠くで聞いた。やめる、は適切じゃないかもしれなかった。

 

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留学が、アイドルとわたしの人生を考える留学になっている。わたしは、わたしたちは、アイドルにどう関与したら、正常であるといえるのだろう、正常ってなんなのだろう。

 

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彼らの幕引きは、驚くほど鮮やかに、今は見える。旋風巻き起こして、いろんなものなぎ倒していくための300万人動員かと思ったのに、それは最後の花火だったらしい。仕組まれていた。彼らが彼らの意図で、引き際をデザインしている。うれしさと、とてつもないさみしさ。虚無。やめる決断を、誰も責めることはできない。でも、わたしたちは自由に悲しんでいいし、自由に怒っていい。かといってそれを彼ら5人に無配慮に投げかけていいわけでもない。もしくは、彼らは1億2000万人の千差万別な感情を投げかけられることも覚悟しているのだろうか。そうならばそれは、人間を超えているような気がする。アイドルってそんな大変な職業なのだろうか(そうだよね…)。いや、アイドルってそんな大変な職業であってよいのだろうか。「アイドルだって人間」何万回も聞いたセリフだけど、アイドルは、人間なのだろうか…。時代が違えば神のすべきことだったはずで、本当は人間はアイドルを演るべきではないのかもしれない。「アイドルをやる人間は狂っている」これは最近聞いた言葉だけれど、「狂っている」ことを背負うことを、肯定できる瞬間だけを俯瞰して放った言葉で、きっと、そうじゃない瞬間も彼にはあるのだろうなと思う。そしてわたしたちは、彼らが、「狂っていること」を肯定しているし、推奨しているし、これはもしかしたら強要なのかもしれない。

 

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人間関係はいつだって困難であるなあと思う。グループは、恋人や親友や家族や結婚と同じで、人間関係の最たるものなので、「努力」が必要。人間関係にはずっとずっと「努力」が必要なのだ。同じ人間関係は一つとして存在しないから、同じ解を当てはめることもままならない。数学や物理、受験の穴埋め問題なんて、ずっと簡単だ。答えがあるから。大人になればなるほど、人間関係のままならなさを思う。特に、今、パリに来て、思っている。嵐は、すごく「努力」のできる人たちだったんだなあと思う。20年以上、同じ人たちと向き合ってこれたわけだから。簡単じゃない。本当に簡単じゃない。彼らを取り巻くものはいつだってビジネスやマーケティングだと思うけれど、彼らが、「嵐の関係性は僕らにしかわからない」と明言するのと等しく、彼らの内側にあるものはビジネスでもマーケティングでもなく、シンプルに嘘のない人間関係だったと思う。アイドルグループは、たいてい、嘘のない人間関係に価値が求められている。仲が良くても悪くてもいいし、ビジネスライクでも、本当の友達以上の関係でもいいのだけど、大抵が人間関係の物語である。どんなにわたしたちがお金を払っても、どんなに周囲の人間が口を挟んでも、どんなにどんなに社会的に成功しても、そういう外殻からの刺激とはまったく関係なく、彼ら5人は内側の人間関係に向き合ってきていた。本当に、すごい。尊敬をしている。たまたまかき集められた人員で、20年間も一緒にいられたこと、これは大きな運と、それに等しく大きな努力を、5人がたゆまず続けてきた証拠であり、そして、5人で一緒に、ひとつの終わりを決められること、これも本当に大きな大きな努力だと、私は思う。

でも、そうじゃなかった人たち、そうできなかった人たちのこともちっとも責める気はない。「努力」が足りなかったと、言うつもりはない。解散を選んだ人も、空中分解せざるを得なかった人たちも、人が減っても続けていくことを選んだ人も、みんな偉いとわたしは思う。これは上から目線とかではなくて、本当に素直に偉いと思う…。全ては、正解のない人間関係に、ひとつの答えを与えようとした「努力」なので。

 

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でもやっぱり、嵐はとてつもなく大きな、インフラであるので、この圧巻の引き際を、鮮やか!すごい!真摯で、なかなかできたことじゃない!と称える一方で、ほんとうにほんとうにほんとうにさみしい。嵐が終わりを選ぶことは、終わりを肯定することが、一つの例としてこの世界に残存してしまいそうでいやだ。誰もこの世界で残っていけないんじゃないかって思えてしまっていやだ。嵐がなくなることも本当にいやだし、それがもたらすものの大きさもいやだ。いやだいやだ、と思えば思うほど、山の頂上に居続ける人の背負うものないしは「背負わせているもの」の大きさを実感して、泣きたくなる。分かった気になって勝手に泣くなよ、って当事者は思うかもしれないけど。

一番上、って本当に大変だよな。一番まで上り詰める過程は達成感も伴っていいけれど、そこから下りられなくなるって、どんな気持ちだろう。人の前に立って、1億2000万人に名前と顔を知られて、影響力を持って、「間違ったことをしてはいけない」という抑圧を抱えながら、どうやって人間として生きられようか。よく聞く「普通の女の子」の「普通の幸せが欲しい」は、ある種真実で、一番の人たちが「普通」を手に入れるのはどれだけ困難なことなのか。

 

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あたたかくてカラフルなスーツで会見に現れる彼ら、本当に嵐だよ。謝りに来たんじゃないから。なんでもかんでも謝る必要のある世界じゃないから。あたたかさが、最後まで最後まで満ち溢れるって、本当にどんな賢さで、どんな努力で、どんな人徳で。本当に素晴らしい人たちが集まれたグループなのだな。

矛盾に矛盾を重ねるけれど、こうやって交点にいる素晴らしい人たちの奇跡を目の当たりにすると、本当にアイドルって面白くて、素晴らしくて、なんてすごいものなのだろう、と思ってしまう。当たり前ではないから、その奇跡と努力の積み重ねが、またアイドルの姿を求めてしまって本当に困る。アイドルなんて至極不自然なものなのに、その不自然を誰かに求めている。

 

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アイドルが不自然であることをパリで痛いほど痛感して、それを応援する自分の歪みや不自然さを感じなくはないのだけれど、自分を肯定しないと生きていけないわけで、その言葉を探している。きっとこの国の文化は、「自分の人生を自分で生きること」「他人と比べないこと」が一般に浸透しているのかもしれないなあと感じていて、それはそうだよなと共感するし、わたしもわたしの人生を勝手に手放してはならない、自分の人生を面白がって生きていくことの方が大切、だって他人の人生に期待して生きていたって仕方ないじゃない、裏切らないのは自分だけなのだから、と諸々思う。アイドルのおたくやるより、よっぽど好きな服買って好きなコスメ買って自分を美しく見せることにこだわったり、好きなことを好きに勉強して自分の知識を豊かにしたり、美味しいものを食べて健康的な運動をして心身ともに健やかに生活したり、自分に投資することは本当に裏切らないから…と思うよ。思う。重々承知。でも自分が生きられなかった人生を、自分以外の他者から摂取したいという欲望が、少なからずあるのも確かで。アイドルを不自然かもしれないと感じることと、それでもわたしがアイドルの姿を追うことの矛盾を抱えている、近頃。

 

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嵐は格段に正直だから、少し特別なのかもしれないけど、実はそんなこともなく、案外どこのアイドルを見ていても、直感は確かに働くよね。事実が詳らかにされてからの答え合わせでしかないけれど、でもそれでも、じっとアイドルを見つめてきた人たちには少なからず直感が備わるとわたしは思う。ささやかな空気の違いを、うっかり嗅ぎとってしまう瞬間がある。言葉にすると事実になりそうで、こわいからしないけど、ドキュメンタリーを見たり、ユーチューブなんかも素を切り取るコンテンツだから、あらゆる瞬間に、あっ、と思うことはある。(これを過剰に研ぎ澄ませると不仲説を提唱しがちなおたく、とかになると思う。深読みと勝手な推測憶測ほど無意味なものはない)嵐は、ちゃんといろんなものを先出しせず、保守できた人たちだから、それも本当にすごくて、褒められることだけど、たとえば、嵐でこういう発言をし始めるとしたら、それはリーダーだって、なんとなく勘で思っていたし、他所のあらゆるあらゆるあらゆる(最近あらゆることが起きすぎている)ことでも、なんとなくそうだな、と思えることはたくさんある(書きたくなさすぎてぼやかしたら曖昧きわまりなくなった)

 

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(会見を見終えた。)

 

こんなに顔がいいのに、こんなに賢くて、上手に物事を運ばせていく人がいるって奇跡なの…としょうじゅんをみて思った。笑える。会見でこんなこと感じてしまって笑える。

 

「嵐は本当にすごい」しか言えなくなっていて、すごすぎて、嵐のすごさで、涙してしまっている。さみしい、気持ちをはるかに上回って「嵐はすごい」が攻めてくる。嵐は、本当に、すごいわ。物事を畳むのに、3年かけて準備するのだよ。そんなにまでしてわざわざ嵐を一度畳むことに凄まじい誠意を感じる。適当にやめたかったら、かき回すだけかき回して1週間でやめてもよかったのに、やめたかった張本人のリーダーでさえそれをしない。誠意と優しさ。嵐がいやでいやでいやで逃げ出すようにやめたいわけじゃないことが、ビシバシ伝わって来る。こんなに面倒な手順を踏んで、物事を進められるっていうのは、誠実さでなかったらなんだと言うのだろう。国家、国民、2020年オリンピックを背負うだけの立場になって、どうやら簡単にやめられないところまでこの人たちは上っていってしまったから、広げた風呂敷が広すぎて、畳むことも相当な労力であるのに、それをテキトーに終わらせない誠実さと優しさを5人が5人とも持っていられることって、あるんだな。嵐は、本当にすごい。ここまで来てもなお「楽しく活動させてもらっていたので」と言えることに、今更言葉の真意を確かめるように疑うことさえ意味ないよな、本当にそれが真実で、実感を持って「楽しく活動」していたって言える人生を送っていたのだろうな、本当に、すごいな。嘘をつく必要なく、その立場に、楽しくいられたって、どんな奇跡なのだろう。(違う、これは奇跡と同じくらい大きな努力の上にあるのです)嵐は、本当にすごい。

 

こんなに賢くなったのは、きっと20年階段を駆け上がっている中でなのだろう。当たり前にたどり着いた場所じゃないんだろう。多少世間に押し上げられて、そもそも望んだ世界ではなかったかもしれないけれど、自分たちの環境をどれほどこの人たちは乗りこなしてきたのだろう。圧倒的適応力の高さをみて、アイドルの凄まじさを感じずにはいられない。どうしたらこんなに、世界にやさしくあれるのだろうか。

 

この世界に正解なんてないとわかりながら、ひとつも間違えずに、これだけの会見を終えるために、どれほどの思慮と努力がいるのだろう。わたしは、そういう人間になれるのだろうか。どんなことをしたら、あの境地へとたどり着けるのだろうか。どうやったら、ちゃんとした、この世界で一番まともな民主主義を達成できるのか。どうやったら、5人の気持ちをきちんと着地させる対話を仕組めるのだろうか。どうやったら、1億2000万人の感情を、一番穏やかにもっていく方法を見つけられるのだろうか。どうやったらどうやったら。

 

わたしの人生の遠くて長い道のりを思う。

 

ひとまず、正直に生きることと、部屋に掃除機をかけることから…。割ったお皿と割ったグラス、新しいものを買って誤魔化してしまいそうになっていたけれど、これもちゃんと大家さんに言います。