空間

好きなように話させてよ

ぼくはきみのかがみじゃない/まつくらくんのやさしさの全て

テレファンにすごくすきな言葉があった。

シンメでやってきたので、応援してくれる方に新たな2人を見てもらえたらいいなとは思うけど、セットで出てる意識は今回全くない。僕は僕という気持ちなのでそれぞれを見ていただけるよう頑張ります。
(松倉海斗)


すきだなーと思った。


「シンメトリー」は、おたくのいろはみたいなところもあるし、今まで大好きだったシンメもたくさんいるけど、私にとってシンメのうちのひとりを担当するということははじめてで、こんなにグルグル考えてしまうことなんだなーという実感がある。端から見るシンメ論と当事者としてのシンメ論はまったく違うみたいだ。くっついたりはなれたりする春夏秋冬のなかで、私は世界で一番すきな踊り手と、その隣にいてほしい人のことを考えていた。


結論。シンメっていうのは、同じ視野の中に収めて見ることができなければシンメではない。


少年や六本木で、誰かのすぐ右と左にふたりで立っているときは確かにそれはシンメで、対を成してパフォーマンスとして成立していた。もちろんそうでないときもあったし、そうでないパフォーマンスも成立させてきたけれど、左手にまつくらくんがいれば右手にげんげんがいてくれたらいいなあと思うし、右手にげんげんがいれば左手にはまつくらくんがいてほしいと思った。2人を視野に捉えて、シンメトリーであることをうれしく思っていた。


一方、帝劇にて。ミュージカルの世界は1曲1曲が独立していない、ぜんぶ通して「作品」として見ている感覚があった。単なるダンス、単なるパフォーマンスとちがって、作り物の世界。そこにいるのはまつくらくんじゃなくてまつくらくんが作り出したカイト。カイトとゲンタがシンメに並んでいることは現実世界とは違う物語の結末にすぎないし、どこか1曲、位置取りがシンメでも、広い帝劇では同じ双眼鏡には収まらない。


今までカイトを中心に追ってきた双眼鏡が、他のものまで映さなければならないとなって葛藤したし負荷になった。シンメであった頃のわたしの気持ちを引きずって、同じようにしなければ、と思い込んだけど、そうじゃない2年間を送ってきたためにできなかった。人生は不可逆だからね、元の通りにはいかない。
でも、カイトとゲンタに「シンメトリー」という概念を持ち込まない、という線を引いたらわたしは途端に楽になった。シンメのことを好きな自分も、劇場のなかにシンメの形を見つけられない自分も、肯定できた気がする。わたしは思う存分見たいものを見ていい。そりゃそうだ。でもそのシンプルな問題が揺るがされていたんだなーと思った。


*1


そういう、本当に身勝手でどうでもよくて些細な、紆余曲折を救ってくれたのが冒頭の言葉であった。


「シンメでやってきたので、」
二人が過ごしてきた時間の大きさ、変わらない事実
「応援してくれる方に」
ファンやオタクではなくて「応援してくれる方」という言葉を選ぶひととなり
「新たな2人を見てもらえたらいいな」
2=1+1ではない1と1という提案、自分だけではない相手への敬意
「とは思うけど、」
わたしも思うよ!
「セットで出てる意識は今回全くない。」
きっぱりきちんと宣言して伝えてくれる、覚悟と経験の滲む言葉
「僕は僕という気持ちなので」
だいすき(号泣)
「それぞれを見ていただけるよう頑張ります。」
でも最後にもう一度敬意をもって「それぞれ」の頑張りを伝えてくれる


たしかにちょっとあほで、いつもにこにこ笑っていて、ぷにぷにの童顔で、
でも頑固で、意地っ張りで、曲げられないこともたくさんあって、けんかしても謝れなくて、
いろいろあるけど、個と孤への自覚や周囲への敬意、そして舞台への愛が、本当にわたしが好きな部分で、信頼に値する全てである。



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どんどんかしこくなって、大人になって(社会人だもんね!)、わたしの稚拙さを超えて言葉を返してくれて。やさしいなーありがたいなー好きだなー。それでも適切に演者と観客の距離を取ってくれて突き放してくれてそれもありがたい(笑)


松倉海斗も松田元太も松松も大好きだけどそれ以上に松倉海斗の作り出したカイトが大好きなわたしは、もう折り返してしまったカレンダーを眺めながらさっそくさみしくなりつつあるけれど、毎日その公演がベストでありますように、後悔しませんように(わたしが)。
そして言うのはタダだから言うけどシンメとしての松松もまた見たいし(クリエかEXがいいな)、コウちゃん、今年も梅田博多に連れて行っておくれ。


は〜〜〜書けてすっきりした!しかも公演中に書けたこと、自分には意味があったなあと思う!誰かにステマしたり整理整頓して伝えるブログはもうあきらめた(はなから目指していない)自分にとって意味のあることを書くぞ

*1:とはいえ、日常に持ち帰るとどうしてもセットで語られてしまうのよね。シンメじゃないし鏡じゃないしセットじゃないしニコイチじゃないし二項対立でも比較対象でもないのに。悔しさもありつつ。耳にも目にも蓋をしたいという思いもある。わたしの健全でハッピーな観劇のために。