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好きなように話させてよ

MEKURU「10代という季節」特集より/橋本愛ちゃんの言葉

いつの雑誌だよって感じなんですけど(2014です)、積んであったのを読んでいて、ああ、橋本愛ちゃんってすごく上手に言葉を扱う女優さんなんだな、と思ったので書く。すごいかしこいんだなあ、つねづねわたしは「かしこい子」が好きなので、つい恋してしまう。
主に桐島以前・以後の変化やあまちゃん以前・以後のことが書いてあるんだけど、ひとつめは桐島について。

「愛せる映画ってたくさんあるんだなあって思ったし、映画をもっと近いところで観れるようになりました。(中略)フィルムがほぼなくなってきていて、それが寂しいっていう大人の方がいらっしゃるじゃないですか。その気持ちもわかるし、フィルムの良さも知っているけど、その上で薄いDVDを愛せる世代というか。それは意識しています。」

桐島の試写以後、「愛せる映画」を知った話なんだけど、「愛せる映画」っていうワードだけでグッとくるよね。映画、愛せるなあ。わたしにとってもそういう存在だ。愛で映画を観たいし、映画で愛を観たいんだなあわたし。それに最近ノイジーなフィルム映画を観て、そりゃもちろんきれいに保たれた最新技術の映像もいいんだけどそのフィルムの雑音から聞こえる「かけ手」の人たちの存在がいいなって思ったところだったのでなおグッとくる。フィルムって「作り手」と「鑑賞するわたし」の間に映画をかけてくれる人の存在が絶対必要なんだよね。いい。
ふたつめはあまちゃん紅白あとのブログについて。

「顔を見て言える人に向けての感謝の気持ちだったらブログに書く必要はなかったけど、顔の見えない人たちへの感謝がすごく溢れてきたので、伝えたいと思ったんです。」

そして「言葉」に対して。

ーー「言葉」というものの重みは感じたりしますか?
「気持ちも人間性も表情も、ほぼ全部言葉に出ると思っているから、怖がっている部分もありますね」

大人よな。この時点で18歳。伝えることや伝えるための言葉に対しての意識がかっこいい。なかなかわたしのなかで曖昧になりつつあるところもあって、「あれ、なんでこれ書いているんだろう」みたいな、ね。なんでもかんでもインターネットに書きたくなる時もあるけど、それって正解なの?って思う。誰に言いたいの?誰に聞いて欲しいの?って考えなきゃいけないんだよなあ。誰かわかんないけど聞いてくれ!っていうときももちろんあるけど、この人に伝えたいと思ったらそれはちゃんとその人に届くようにすべきよな。わたしは面識のあるところから全てがはじまる方のツイッターが苦手なんだけど、それは面と向かって言えばいいのに・個人で連絡くれればいいのにレベルの何かが不特定多数に向けられている瞬間を目にしてしまうからなのかもしれない。
最後に、「早く大人になりたいと思うか」という質問に対して。

「大人に、というよりも、早く年齢が欲しいですね。今は、自分の責任だってわかっているのに人の責任になったりするから。ちゃんと自分に負わせてよって思うから、早く二十歳になりたいです」

ひょー。わたしの二十歳はちゃんと負えてんのかな。はて。あれこれ考えたりしながら、例年に比べて失速気味の四月をもっとちゃんと始めなきゃという力をもらいました。