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空間

好きなように話させてよ

わたしのためのわたしだけのはなし/アイドルとオトナ

雑記

これらはすべて「私」の話です。

私はずっとお酒を飲んでこなかった。当たり前だと言われれば当たり前だろう。十代だったんだから。でも私の界隈ではその当たり前は大層なことで、案外大変なことだった。この話はインターネットのあちこちでしているのでまたかよ感もあるかもしれないけれど、「飲まないです」といえば「え〜すごいね!偉いんだね」とか言われる。偉いとかじゃないんだ。わたしにとってはずっとそれが普通であった。

勘のいい人はもう察しているかもしれないけれど、「なんで飲まないの?」と聞かれたら、それはわたしが好きなアイドルのせいだ。「未成年飲酒」の五文字がわたしはだいきらいでだいきらいでだいきらいだ。字面がもうほんと、だいきらい。法律なんて紙みたいなもので、そこらじゅうのたくさんの若い人がその紙にあぐらをかいて飲む。でも、名前を売る仕事をしている人はそこらじゅうの人と同じことをしているのに、人生をひっくり返されるくらいの事態になるわけだ。仕方がないといえばそれまでだし、それほどの責任を負って人前に立たなければならないのも理解できる。それでもやっぱり、同じ少年なのに、こんなにも違って見える、見えるようにしてしまっている社会に抵抗があった。みんな同じなのに、許される人と許されない人がいる、ごまかして済む人と人生を奪われる人がいる。十代のわたしには全然納得できなくて、ずっと腹立たしかった。*1

それからというもの、アイドルが飲んではいけないものを同じ年齢のわたしが飲んでいいもののようにはちっとも思えなくて、意地を張ってお断りし続けた。その間もやっぱり怪しい出来事はいくらかあって、その度にゴシップとして書かれる人を見てきた。すごく悲しかった。大事には至らなかったけれど、そんなことで人生をこわしてしまいそうなアイドルにも、そんなことで人生を奪おうとする週刊誌や社会にも、もどかしさを感じた。

十八の頃、わたしが打ち立てたそんな持論は正しいものだと信じていられたけれど、十九になってなんでわたしは飲まないんだろうと思う瞬間も増えた。もはや意地でしかなくなっていたからだ。「『飲まないキャラ』だもんね」と微笑まれたりして、なんでこんな意地はっているんだろうと思った。流されてしまえばよかった。二十になる一時間前、自宅で、もはや今飲んでも誰も見ていないし誰も気づかないではないかと思った。この一時間がなんだっていうのだ。今日と明日で、何が変わるの、ただ数字が一つくりあがるだけではないか。数字でしかない。そう思ったら途端に虚しくなって、二年間の苦労は一体何だったんだろうとさえ思えた。でも、飲まなかった。本当に二年間を水の泡にするように思えたからだ。最後の意地である。

そんな時やっぱり過ぎったのはこれであった。ちょうどこのタイミングでこの文章に出会えて、本当に良かったと思った。思い出せたから。


herodontsing.hatenablog.com


本当に、私なんかが偉そうな顔しても仕方ないんだけど、それでもちゃんとハタチまで飲まないと決めて貫いた自分偉いなって褒めたくなる時だってあるし、そうすることがわたしにとって正解だった。ハタチになることにどんな意味があるのか、とずっと考えていた。何にも変わらないのだ。飲めるようになることも、小さな通過儀礼にしか過ぎない。それでも、なあなあにしなくてよかった。と今は思う。いつか、またそう思えるような時がきたらいいなとも思う。(そして、わたしの好きな子たちにもそう思って欲しいと少しばかり願っている、自分を大切にしておくれ、わたしをヒヤヒヤさせないでおくれ、と。)

結局は二十になるというなんでもないことの価値付けが欲しくて、成人を迎えたことを喜んで酔いつぶれる彼のように何か「特別な日」にしたくて、意地を張っていたのだろう。大層な「特別さ」はなかったけれど、これでよかった、そう思おう。ずっとそう思おう。私は世界で一番テゴシゲが好きだから!!!これでいい。




という、わたしの大事な価値観とそれに影響を与えた大好きな若き日のアイドルのお話。



***

引用させていただいたテゴシゲ記事は本当に最高で、大好きな文章だらけである。星のつけすぎできもちわるがられているかもしれないので、謝辞をば。すみません、そして本当にありがとうございました。

*1:一応書いておくが、わたしはあの不祥事もこの不祥事も本人のせいだとは思っていない、社会がいけない。過保護でごめんだけど社会のせい...とまだ信じている、あんまり言わないようにしているけど。でもやっぱりあの子のせいにされるのはあんまりだ!!!