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空間

好きなように話させてよ

青いのは、夏だって ステージ編

すっかり世界の果てから戻って参りましたが、お手紙の続きを書きます。


前回はつらつらと一か月半のお話をしましたが、今度は二週間の話。
きっちり私の中におさめておきたい、大切な夏の記憶の破片です。




7/31 18:00~ 武羅
8/6 17:00~ 武者
8/7 18:00~ 者羅
8/10 11:00~ 我武




それぞれ一曲一曲にコメンタリー付けて自分のすきなところ書き留めるのも苦じゃないんですけど
そうでないところから書き始めたいと思います。


当たり前のようにステージの上では踊りを踊る彼らですが、今回改めて、パフォーマンスの練習をやりながらダンスレッスンをしていたんだなと考えました。
普通のことかもしれないけれど。普通のことなのかもしれないけれど。
そういうことを普通に見せてくれる彼らなんだな、というところに改めて脳を持っていかれた。


すべてだとは思いませんが、今回は彼ら自身のやりたいことも盛り込んだステージだったんですよね。
それぞれのチームの選曲だったり、和のパフォーマンスだったり。
舞台構成という点でも、セットリストという点でも、実際のパフォーマンスという点でも、「楽しくない」という瞬間がなかったのがすごく良かった。
チームごとの選曲は、それぞれのチームで見せたいものがあるのが伝わったし、ボ松ちゃんのパフォーマンスも色鮮やかで目が飽きない。殺陣からファンサ曲まで、やっていることの幅はとても広いし、日々出演者が変わるというやりにくい環境にも関わらず、いつも同じ質で見せてくれたと私は思います。不慮の出演者変更…もあったけれどね。きっとそれも成長だ。*1


パフォーマンスの練習のためであって、普段のレッスンやステージのためではないチームたちであったけれど、明らかにチームを編成したことがパフォーマンスにプラスになっていました。
圧倒的にいろいろなことが変わって見えた夏だった。
それはもちろん、ボ松ちゃんもで。
私はSexy松を主に見ていたので、そこから話をします。


セク松の三人のうち、げんげんと松倉くんは各々チームでの練習も抱えていて、聡ちゃんはそうではないんですね。
松松のふたりにとって、どちらをどれくらいの意味を持って自分の中で位置づけていたかは分かりませんが、この夏は圧倒的にパフォーマンスのチームでいる時間の方が長かったのかなと推察します。
だから、どうしてもSexy松という場所は、なにかを持ち帰る場所になってしまったのではないでしょうか。もちろん悪い意味ではなく。
チームで仲間を知った二人が、そこから得た種をSexy松というユニットに植えていった、というような感覚です。
逆に、聡ちゃんは仲間を知っていました。名前にくくられた仲間。
私の所感でいきますと、聡ちゃんは仲間が好きで好きで好きです。初めて覚えた仲間。でもいろいろあって、もちろんプラスもマイナスもあって、聡ちゃんの中でもきっといろいろあって。それでも明るくいます。なぜなら聡ちゃんは仲間の中で弟だけど兄でもあるからです。
そして新たに手に入れたユニットもまた、明るい聡ちゃんの指し示す方向としては、自分が前に進む一歩でした。
聡ちゃんにとってこのSexy松は持ち帰る場所ではなく、なにかを大きくする場所。
印象的な言葉がありました。

「二人のしゃかりきなダンスにあわせるのではなく、センターとしてのパフォーマンスをしようと思った」

元いた場所も違う二人と一人。
ユニットの位置づけも違う二人と一人。
前へ進んでいる事やパフォーマンスへの思いは同じだけど、少しずつ違うものを抱えた彼らがあんなにも美しく儚く見えたのは
聡ちゃんがセンターで、げんげんと松倉くんがそのやや斜め後ろで、三角形を描いていたからなんですね。
もっと長い時間をかけて移ろう姿を見るのも悪くないなと思うユニットになっていました。


立ち位置はななめだけど、板をおりれば、幕に入れば、いつも隣に並べる仲間、いいよね。


SexyBoyzにもちょこっと触れておこうと思うのですが、Tokyo Sinfoniettaにすごく思うところがありました。
マリちゃんの表現の仕方と良くも悪くも人の後ろで踊ってきたじんぐうじさんの踊り方。
ものすごく対照的で、閃光のような衝撃でした。
マリちゃんは、歴からいっても場数が少ないし、基礎がある訳でもない。うまい、と言われることは多分少なかっただろうし、過去のメイキング等々見てもJr.に「マリウス、ダンスがんばってね」と言われるくらいでした。今回が、今までで一番踊ったってくらい。
でも、Be Freeの時に薄々感づいていたのですが、今回マリちゃんを先頭にしたダンスはすばらしかった。
場がふわっと華やぐ踊り。鬼気迫る表情も天使のような笑顔も、豪華で可憐で色が溢れていた。
あんな踊り方を自由に素直に魅せてくれる人はいないから、いつまでも失くさないでほしい部分です。正直、マリちゃんはJr.の世界に押し込めておかなくてよかった、これは本当に。
対して、じんぐうじさん。
バックで踊っていると、どうしても無駄なものって削ぎ落とされがちで、それが洗練されているっていうダンスに近づく方法でもあると思うんですが、そういうことを想起させられました。じんちゃんは私の中で自身の色を濃く持っている存在だと思っていたのでその分の驚きも大きかったです。
どちらがいい悪いではなくて、在り方のバリエーションということ。


今回は30公演あったのですが、日々面子が変わることもあって、30連勤したのは先述のボ松ちゃん六人と安井さん。
本当におつかれさまでした。
安井さん、本当におつかれさまだよ。
たった一人に背負わせすぎな日々であり、そして誰より仲間の意味と大切さを分かっていて仲間がいる中で活動したいという願望のある彼にとってなんだか酷な日々だったと勝手に心配しておりますが、この点は今回の公演で一番気がかりでひっかかってしまった部分です。
彼がいて成り立っているので、なおさら。
感謝の意を込めて、お疲れさまでしたと言いたいです。


以上、いろいろな点で20人に含まれない3人にとっても、重みのある、経験値になる夏だったのではないかなと思います。
それぞれ違う形でステップアップが望まれている。
ここら辺はサマリーと違う部分なんじゃないかな。常に横一線ではない、個性の部分で勝負しようとする、Jr.っぽい一面が大きく見えました。


ではでは、20人について。
舞台裏編で、私がチーム者とともに過ごした1か月半の話を書いたのですが、そのほか15人も確実に新たなものを手に入れた日々だったと思います。
もちろんパフォーマンスの技術もそうだけれど、練習する時間の中に転がっている宝石はたくさんあった。
拾い上げて拾い上げて、力にしていた、宝物にしていた。
一部ではあるけど、その練習の瞬間を少し目にしていた分、「本番」はその宝石を見せてくれる機会になりました。
目で分かるよ、顔で分かるよ。
一か月半をひたむきに一生懸命に生きていたかは、目や顔から存分に伝わってくる。
みんなそれぞれ、顔つきが全く別物になっているんだもの。


たしかに、半強制的に学ぶチャンスが与えられたとしても、ここで学んだ技術って将来役に立つか分からないんですよね。パフォーマンスをする仕事をしているから、もちろん活かせるような未来があるのかもしれないけど、保証はない。
なんのために練習をしているんだろうと思っていてもおかしくない。
それでもあんな風に一生懸命ガムシャラできるということは、完成から役立つものを得ることより、練習の過程から役立つものを得ることの方がはるかに大きな意味と価値を持っていることを知っていて、まさにそうやって貪欲に自分たちに必要なものをもぎ取っていったんだろう。 
機会が与えられたら、それはどんなことであってもチャンスですよね。すべては考え方捉え方次第。すごく不利で損でリスクがあったとしても、そこから得られるであろうことに目を置いて、得られるものを最大限に得ていく……そういう姿勢はきっとステージに乗り続ける人たちだから、自然と身に付けたものなのかもしれません。
見習いたいです。


二週間、長いようで短いですよね。
青春と言ってしまえばそれまでだけど、やはりこの二文字はこの夏とこの夏までの軌跡を説明するには的確です。
成長の夏を幾度となく目にしてきたから、夏という言葉に季節を表す以上の意味をたくさんおしこめて使ってしまうのですが、間違いなくこの夏は私にとってよい夏でした。23人とそのうしろの子たちにもそうであってほしい。
今の自分が、今の場所で、手に入れられるものすべてを抱えて、次の季節へ歩んでいってほしいと思います。


私もだなあ。私は夏、なにを拾ってなにを得て、進んでいくのかなあ。





次の季節の違う顔した君に会いたい、忘れられない次の夏へ向け

*1:「成長」っていう言葉は普通のコンサートには使わないのかもしれない。そこらへんが特殊というか。簡単に使っていいのかな。今そこらへんを悩んでいます。