空間

好きなように話させてよ

君と僕の真ん中に生まれた この気持ちはどこだ 

 

 

すごく とても 言い訳です

あまり書くことも決めずに書きだした自分の脳みそ片づけるための戯言だと思っていただいて構いません、とくに発信することがあるわけではないので。

美しい恋にするよDVD拝見しました。とてもとても美しかった。感想はまたの機会に徒然書くことがあるのではないかなと思っています。どの瞬間も欠くことのできないかけがえのないあの夏の日。記録として永遠に残っていくこの感動をきちんとした形で残したいという思いは確実に自分の中にありますので。

 

このDVDを見て、DVD自体の感想ではないのですが思ったことがありました。ここ数日、ジュニアを摂取することなくただひたすらにNEWSだけを受信していて。私はNEWSが大好きだなと改めて思いました。自分はずっとこの世界観を見つめ続けていて「キライかもしれない」と疑ったことなんてただの一度もないのです。これからもずっと私の「好き」の対象であり続けるのかもしれないなあと思いました。そんな中で私にとって「ジュニア」の存在とは。「NEWS」の存在とは。考えさせられました。

これを自分の言葉で定義することは決して義務ではないですし放っておくのもありだったのですが、今自分は時間の制約の厳しい生活を迎えようとしていて、何かを切り捨て何かを守って生きていかなければいけない選択の時期だと思っています。その中で何か明確にならなくても少しでも確かさに触れて自分を納得させたい。そんな思いでなかなか見つからない確かな言葉を探し始めました。

秩父宮の映像は驚きました。想像以上に綺麗だ。自分もあの場所にいましたが、こうして湧き上がる思いが半年以上経った今、より美しくあのときに投影されてゆく。捨てどころのない映像でした。NEWSの最終形として、ゴールとしては完璧ではないと思います。まだまだ増田さんの言うように詰めることのできる演出箇所だってあったでしょう。まだ新しいNEWSは始まったばかりなのです。しかしこんなにも作品として出来上がったものは見たことがなかった。空という景色も、ファンの表情という景色も、お城のステージの前に立ち初めてファンと対峙する4人の表情という景色も、必然性から生まれたものではなくて。すべての奇跡が重なった偶然の産物だと思うのですが、それがとても美しかった。彼らが「これは想いのコンサート」だったと「想い」を強調するように、これは本当にすべての人の感情が織りなす奇跡だったと思います。「二度とこんなコンサートはできない」彼らの口からそう聞きました。その通りだと思います。(そしてあんなに辛い思いはもう二度としたくないので「復活」コンサートを繰り返すことは絶対にしてほしくないですが。)

この完璧と言ってもいいコンサートの完成形を見て。私はジュニアに何を期待すればよいのだろう、と分からなくなりました。どうやっても越えられない壁のように思えたのです。実力とか技術はもしかしたら十分に越えるモノを持っている子もいるかもしれません。いると思います。人気だって、越えていくかもしれません。越えられると思います。でも。私の中でこの作品が大きくなってしまいすぎて、これよりすごいと思えるコンサートなんてどこにも存在しないような気がして。心が満たされていく反面、心が空っぽになっていく気がしました。

別に越えたものを見るものだけが楽しみではありませんし、この最高のコンサートはいつまでも自分の中の1番としてしまっておけばいいのかもしれません。それにジュニアを応援するときの楽しみは別のところにあることも知っています。ジュニアの応援をやめよう、NEWSに専念しよう、なんてことはこれっぽっちも思っていませんし私には無理だと思います。

でも。彼らを応援してデビューが決まって喜んで。その瞬間彼らはNEWSというデビュー組と同じ土俵に立つのですよね。すごく恐ろしい気がしました。「勝てない・・・」

勝つとか負けるとかの世界では無いですし比較する必要もないんですけど、不思議とそんなことを考えたんですよね。不思議です。

 

私は、彼らとNEWSとを同じフィールドで考えることが怖くなってNEWSを「担当」という枠から外そうと思ったことがあります。もともとあまり「担当」制度を私は使わないのですがどうしても便利な単語ですのでそういう表現にさせて頂きますが。彼らは私にとっていわゆる「担当」を超えてしまった存在です。巷で言う神担とかになるんですかね(苦笑)気づいたらもっともっと大きな存在になっていました。

この夏から(もしかしたらその前からも)ずっと思っていることとして、彼らはとても安定していてもう心配させないからって言っていてそれじゃあ自分が一生懸命全力で力を注いで応援しなくても大丈夫なんじゃないか、ということがあります。(ジュニア応援していると自分が支えているんだという義務感に慣れてしまうのかもしれませんね。)遠目で見守っているだけでも大丈夫なんじゃ、って思ってしまうんです。「浮気すんなよ」という言葉に背くことになりますが、NEWSはずっと大切な存在として距離を置き、ジュニアに専念すればいい、と思ったのです。でもできなかった。どんなに未来を約束してくれていても安心してみていられても永遠に消えないと言ってくれても、上から目線になってしまうのですが、私はNEWSを手放すことができなかった。自分の大切なものだよ、これが一番好きなグループだよ、自ユニだよ、担当してるよ、って言えなくなることが怖かった。「NEWS担」はある意味私のアイデンティティーだったのかもしれません。降りたからって自分がファンであることを公言するのは自由ですけれどね。なんか自分が自分を許せなかったんだと思います。(だんだんめんどくさいオタクであることが露呈してきていますが・・・)

結局そんなわけでNEWS担という肩書を失うこともジュニア担という肩書を失うこともできないまま曖昧に生きてきています。

 

今一番変化に富むジュニアを見逃すわけにはいかないと目を光らせ、でも実はNEWSだってほかのデビュー組よりもジュニアに近いスピードで変わろうとしている。二兎追うものは一兎も得ずといいますが私は二兎得ようとしているのですね。

自分が見ていなくてもきっと成長していくであろうNEWSとどうしても手をかけて成長させたい、その成長の隅々まで見ていたいジュニア。どっちも。全部。自分の我儘さには本当にびっくりします。

 

そして結局自分にとってNEWSとはジュニアとはアイドルとは、何にも分からないままブログ締めようとしているのですが・・・少なくとも無理矢理に定義した言葉をついったのbioに載せていました。「NEWSは家族」いつもそばにいてくれてもう慣れ親しんだ仲なのに未だに飽きさせない新しい風を入れてくれます。「浮気すんなよ」とか「子猫ちゃん」とか「ファンは彼女だ」とか結成10年目とは思えない付き合いたてのカップル感満載ですが、新しい中でもやっぱりいつもそこには安心感があっていつも帰りたいと思える場所です。家族になりたい、家族であって欲しい、そんな感覚でこれからも付き合っていきたい、そう思っています。私は彼女じゃ満足しないからねっ(><)

ジュニアはぐらぐらで不安定でこの先も見えない、だからこそ「頑張れ」をたくさん送りたくなるのかもしれませんが、時にはその危うさに鬱めくときだってあります。絶対の信頼をそこにおくことはまだできなくって、でもいつかそうなれたら、って思っています。まだまだ私が彼らを見てきた時間は短くてこれからずっと続くかどうかなんてわからない。けれどその一瞬の煌めきが見たいから目が離せなくって。一瞬を見逃さないためには彼らの「今」を一番大切にしていたいです。儚さの中で自身の強さを身に付けていくその物語を、抱きしめていられるだけ抱きしめていきます。

 

ただ面倒くさい自分を再確認しただけのエントリになりましたがこれからも仲良くしてやってくださると嬉しいです・・・終着点決めずに書き出したらこんなことになりました・・・まったく結論出ていないですし・・・これってはてなに上げる内容じゃないですね・・・猛省してます・・・

恥ずかしくて逃げ出したい・・・