空間

好きなように話させてよ

SexyZoneが本当に最高〜〜!!!

 

本当に、超超最高だったんだ、という話をさせてほしい。SexyZone2017、最高である。ほんとうに、わたしの人生でいちばんに楽しいコンサートであった。最高。しあわせ。

 

思えば、いつの間にかわたしはセクゾンの物語から離れてしまったのだなあと思う。いつだったんだろう、すごく、自然に、離れていっていた。離れてもずっとすきだったけど、ずっとすきなふりをしていたような気もする。でも今度は、本当に自然に、引き戻してくれる。だからセクゾンは最高だ。いつでも戻ってこれるようにしてくれる。これはいつしかPerfumeのコンサートでも思ったことだったなあ。いつ好きだったファンも、初めて見た初心者も、ずっと好きなファンも、みんな一緒に取り込んで、みんなを満たしてくれるのだった。誰かにしか読めない物語じゃない。どの頁から読んでも面白く読ませてくれる。それって凄いことだ。簡単じゃない。

 

わたしがのめり込むように好きだった時の記憶も、そっと手を離したときの記憶も、それでもひとりひとりが好きで誰かのために文章を書いたときのことも。あのコンサートで見た景色、このコンサートで見えなかった景色、あの会場の空気、この会場の座席、公演前に友達にもらったおみやげ、終わって興奮のなかごはんを食べに行ったこと、ああ、そうだ、わたしが夢中になってた頃、たぶんあの頃のわたしはお酒が飲めなかったなあ、とか。いろんな街に落としてきた青春が、急に思い出される。

 

またわたしは頁を開きます。栞を挟んだ、ちょうどそこからではないと思うけど、パラパラしながら、続きを読むよ。

 

SexyZone最高じゃん。

 

 

自分の気持ちを確認するための大阪だった。ちゃんとわかって帰ってきたよ。大丈夫。

 

 

再構成されうる断片の連なり

 

NEWSのコンサートに行ってきた。

 

現時点の感想はタイトルの通りである。コンサート自体も「再構成されうる断片の連なり」であるなあと思ったのと同時に、わたしの脳の中に残る記憶も断片だし、こうしてここにとりあえず残さなきゃと思った言葉もまだまだ断片だなーと思う。(あまりツイッターに言いたい放題書けないから、ひとまずまとまってないままここに書き残すことにしました)

 

なんでだろう、すごく「部分」のコンサートだったんだよなあ。構成を4部構成にして、Interを多く挟んでいることとか、4部がどういう考えに基づいて分けられているのかがよくわからなかったこととか。今からセトリ思い出してみて、と言われてもたぶん思い出せないこととかも。部内の曲のつながりはとても美しい瞬間がたくさんあって、いいなーと思うし思い出せるけど、彼らが「ゲート」と呼んでいた部ごとをつなぐInterがわたしの頭の中でコンサートの構成を切り離してしまったような気がする。ネバーランドは、ファンタジー小説じゃなくて、テーマパークだった。一編の超大作でなくて、四編からなる読み切りだったし、4つのエリアごとに世界観の仕切られたテーマパークだった。となると、乗りたい乗り物はこちらで選ばせて!ってなるんだよなー。この乗り物10回乗らせて!こっちは乗らなくてもいいや!ってなる。現にBrightestを100回観たいんだよわたしは。(その話は後でするとして。)だからまあつまり、コンサートはショーなのだから本当はひと連なりの物語にしてくれたらよかったなあと思った。保険をかけるようだけど、これはわたしの好みの問題かもしれない。それから、この一年間はコンサートよりミュージカルをたくさん観てきたからかもしれない。

 

これだけ書いたらめっちゃ不満だったように読めるかもしれないので、他にも色々書いておこう。わたしは今回の「部分」のコンサートを否定する気はさらさらなくて、「部分」の中にすごく光るものが見えて、それがキラキラしていて、うれしいとも思った。

 

・例えば、Brightestの照明。青、水色、紫、白、その他言葉にならない曖昧な色。レーザーの光が織り込まれた布みたいに空間を支配していて、めちゃくちゃきれいだった。演出自体も、観客に媚びていなくて、スッとしていて、スタイリッシュでクール。Perfumeの掟好きにはたまらない。ああ、この人たちがこういうことできるんだ、って、ずっと知りたかったような気がした。

 

・例えば、てごソロI'm coming。やりたいことぜ〜〜んぶやったなあという、印象だったけど、でも実は光と演出をちゃんとつなげていて、うれしかった。この人は今まで一番得意な「歌う」ことだけで勝負したいと言って他のことを削ぎ落としてきたけど、十分すぎるくらい歌が上手なのはわかったから、やっぱり歌の上手な彼にはそれ以上のことをやる権利も義務もあると思っていた。どんな演出に取り組んでも、絶対歌える。それが今回だったなー。踊りこそしてくれなかったけど(笑)満足しました。まだまだどんどんやろうね。

 

・さらには、orihime。これはセンステがすごく面白くて(なのでまさかのリフターにいる主役はほとんど見れなかった)、ジャニーズのコンサートでコンテンポラリー(のようなもの)って珍しいなあと思ったのだよね。ちゃんとストーリーもあって、音楽劇のようにも見えた。なんだか学生劇団みたいな脆くて儚くて壊れそうな空気があって、それは演出が弱いってことじゃぜんぜんなくって、よわい空気感をあの大きなステージに持ち込めるということへの賞賛だなあ。円盤になったときにはもしかしたらセンステ映ってないかもしれないからそうしたら本当にこの曲の良さなくなってしまうなーと思うwなのでやっぱり4人も下にいてほしかったなあ。(と、書いていて思ったのだけど下が宇宙で、私たちが星で、センステが天の川で、この曲においては天高くにいる4人が逆に地上の人間なのかも。まあ、もうちょっと考えます。)とみけんといっちゃん、超よかった。

 

・これに似たところだと「あやめ」。演劇ではないですか、これは!今までこの人が作家になってからやってきたことは、他人の作品を引用オマージュしてアイドルというステージに持ち込めるよう再編することだったと思うけど、今年はちょっと違った。自分で書いた文章が、音に乗って、立体空間に立ち上がっていく感じがした。音があるので、ストプレとは違うけれど、どちらかというとそういう感じがした。アングラの世界で、何かを言いたい言えないもどかしい青年の、精一杯で最大限の意思表明。誰にでもできることじゃない。この人だから。やりたいこともやっていることにも説得力が生まれるというか、すごくしっくりくるんだろうなあと思った。喪失と再生。生きることは失うこと。失いながら生きること。ところで、曲を聴いている間は特に何も感じていなかった「虹」の色彩が、「旗」に描かれた「虹」の意味が、この時代に生きている、本当に今を生きている、あなたの歌だと思いました。

 

・あとはもう少しだけ覚書のように書き残してみるけれど、オープニングとエンディングがとてもよかったね。特にオープニングかな。超わくわくしたし、これが最高!と思った。銀河鉄道なんだなあ。orihimeの999でジュニアの振り付けを見てオープニングを思い出したりして、そういうディテールというか、曲を跨いで物語紡げたら、いいコンサートに成るだろうなと思った。そして宝塚だったね、ありちゃんエクスプレスだ!(話が脱線) あのお仕事ができるジュニアたち、うらやましかった。だってめちゃくちゃかわいいんだもん。ほらほら、トラジャの山手衣装が好きな人たちも観に来てよ。楽しんでもらえると思うんだけどな。かげたくめちゃかわいいよ?うえしょも。

 

・ステージ構成も攻めていて、今までと同じことを繰り返すことを卒業しようとしていて、よかったんだよね。とてもうれしかったんだ。ただまあどっちが正面かわからなくなるところもあって難しかったなあとは思うけど。あともうちょっとだなー。がんばろう。

 

 

ぜんぶぜんぶ素晴らしくて120点!とは言えない。ああ、ここをもうちょっと、とかこんなふうにできたら、とか思ってしまわないこともないのよ。手を放してほめちぎれないから、だけど、それだからこそ、わたしが好きな意味はあるのかなあとも思う。もどかしいけど。

 

そして、もどかしいけどもどかしいなりに、やっぱりたくさんの人に目撃してもらいたいと思っているし、それに、ちゃんとわたしには光の見えた、ような、コンサートだったんだよ。見えたものが希望か絶望か、それを決めるのは本当に各人次第でしかないのでわたしが何を言うことも他人には関係無いとも思うけど。いつか部分が再構成されて全体になったら最高だなあと、願いながら次の国を待ちます。

 

 

 

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Brightestの世界観で3時間コンサート組んでくれないかなあ、死ぬまでに。

かなしみは夜の海越えて

 

たくさんの子に愛を書いていたら、もちろん一番好きなあの子にも書きたくなる。

 

今年もたくさん夢を、光を、見せてくれてありがとう。本当に特別な時間だった。こうして手を引いて世界でいちばんの場所に連れて来てくれること、何より誇らしくてうれしいことなのだよね。今年は三月の途中に200回目を迎えたそうで、すごく驚いている自分がいる。200回、おなじことを繰り返してきたのだなあ、この人は。全身全霊で向き合ってきたのだと思う、ただの1回も手を抜かず、200回。

 

もう、どうして好きになったかとかどういうところが好きなのかとか、だんだん分からなくなってきているけれど、本当に好き、という気持ちだけが募っていく。わたしにとって、本当に本当に特別なのだと思う。忘れたくない。

 

まつくらくんのことを語るときに、最近「信頼」という言葉が欠かせなくなってきた。

舞台の上で表現するすべてだけが彼が送るわたしへのコミュニケーションで、紅い客席から送る拍手だけがわたしから彼へのコミュニケーション。それ以外には何もなくて、本当に本当に不確実で繊細で曖昧なものだけど、何よりそれが信頼できて愛にあふれるすべてだと思う。不安や心配は200回を越えた今、ひとつもなくて、舞台の上にいるまつくらくんのことは100信じることができるよ、と言い張れる。

 

今日ね、縁があったので今日を2017のわたしの終わりにした。2か月の間なんどもなんども足を運んだこの場所に、とんでもなく思い入れがあるけれど、でもその場所を去ることは思いの外さみしくなかった。去年よりずっと強く、また戻ってこれるという気がしている。去年のわたしは、傷つきたくなくて幕が開いたそこに姿がなくとも後悔はないと言い聞かせていたけれど、今年はまた違う気持ちでここにいるよ。「信頼」があるので。

 

とはいえども、今日の公演自体が夜の海と重なってみえて泣き出してしまいそうだったことは認める。今年のカイトはもうあとわずかで消えて失くなってしまうのだなあ。消えることをわかっている中で一生懸命今を踊る姿が強くて儚くて美しかった。

 

もう時間はわずかしかない。まつくらくんの作り上げたカイトはもう、あと少し。舞台の上でもただの一瞬も裏切られたことないなあと思い出して、泣きそうになる。別れはかなしい。でもこんなにたのしくてうれしくて、幸せや喜びをたくさんくれた君に、おおきな祝福を。かなしみは夜の海越えて、今ここにあるのは希望と信頼。ずっと、ずっとずっと続く夢へ、わたしの手も引いてつれて行ってくれたらいいなあ。